SNSでの炎上や企業の評判管理など、現代社会では誰しもが直面しうるこの現象について、その語源や事例、そして背後にある心理学的なメカニズムを、学術的な視点も交えながら解説します。
ストライサンド効果とは?
● 概要と語源
ストライサンド効果とは、特定の情報を隠蔽したり削除したりしようとする試みが、かえってその情報を世間の注目を浴びせ、広く拡散させてしまう結果を招くという社会現象を指します。インターネット上では「消すと増える法則」という言葉で表現されることもあります。
この名前は、アメリカの歌手・女優であるバーブラ・ストライサンドに由来します。
引用元:billboard-japan.com
2003年、彼女は自身のプライバシーを侵害されたとして、カリフォルニアの海岸線を記録するプロジェクトが撮影した航空写真の中から、マリブにある自宅の邸宅が写った写真を削除するよう求め、5,000万ドル(当時のレートで約60億円)もの賠償金を求める訴訟を起こしました。
しかし、この訴訟がニュースになるまで、問題の写真はたった6回しかダウンロードされていませんでした(そのうち2回はストライサンドの弁護士によるもの)。訴訟が報じられると、世間の関心は一気に高まり、翌月には42万人以上がその写真が掲載されたウェブサイトにアクセスするという皮肉な結果を招いたのです。
この一件をきっかけに、IT系ニュースブログ『Techdirt』の編集者マイク・マズニックが、同様の現象を「ストライサンド効果」と名付け、広く知られるようになりました。
● なぜストライサンド効果は起きるのか?
ストライサンド効果の背景には、人間の根源的な心理が関係しています。
学術論文『The Streisand Effect and Censorship Backfire』では、この現象はインターネットが登場するずっと以前から存在していたと指摘されています。例えば、古代ギリシャのヘロストラトスは、歴史に名を残すために神殿に火を放ち、当局は彼の名を口にすることを禁じましたが、その禁止令によって彼の名は逆に後世まで語り継がれることになりました。
このように、何かを「禁止される」「隠される」と、かえって「知りたい」「見たい」という欲求が刺激される心理現象は「カリギュラ効果」とも呼ばれています。
情報が隠蔽されようとすると、人々は「なぜ隠す必要があるのか?」「そこには何があるのか?」と疑問を抱き、その好奇心(人間の根源的な心理)が情報を探し、共有し、拡散させる強力な原動力となるのです。
ストライサンド効果の有名な事例
ストライサンド効果は、個人から国家まで、様々なレベルで発生しています。
● フランス政府によるWikipedia記事の検閲
2013年、フランスの情報機関である国内情報中央局(DCRI)は、フランス語版ウィキペディアに掲載されていた「ピエール・シュール・オート軍用無線局」の記事に軍事機密が含まれているとして、ウィキメディア財団に削除を要請しました。財団がこれを拒否すると、DCRIはフランス在住のウィキペディア編集者を呼び出し、圧力をかけて記事を強制的に削除させました。しかし、この記事はすぐに別の編集者によって復元され、一連の騒動が報じられたことで、それまでほとんど知られていなかった記事がフランス語版ウィキペディアで最も閲覧される記事の一つになりました。
● 女子小学生の給食ブログ
2012年、スコットランドの9歳の少女マーサ・ペインさんは、学校給食の写真を毎日ブログに投稿していました。このブログが人気を博していたところ、地元の地方行政カウンシルが「給食調理員を動揺させる」としてブログの投稿を禁止。この決定がメディアで報じられると、世界中から批判が殺到し、「検閲だ」と大きな騒ぎになりました。結果的にカウンシルは決定を撤回し、彼女のブログは以前にも増して有名になりました。
● 企業の評判管理の失敗
ビジネスSNSを運営するウォンテッドリー社は、自社の株式公開(IPO)について批判的な意見を述べた個人ブログに対し、記事内で使用されていた社長の写真が著作権侵害にあたるとしてDMCAテイクダウン(削除申し立て)を行いました。これにより、ブログ記事は一時的にGoogleの検索結果から削除されましたが、この対応が「批判に対する言論封殺ではないか」とSNSで大きな批判を呼び、かえって元のブログ記事への注目が集まる結果となりました。
ニューヨーク州のあるホテルは、「当ホテルに関するネガティブなレビューをネットに投稿した場合、500ドルの罰金を課す」という驚きのポリシーを掲げました。この時代錯誤な試みは、当然ながらネット上で大きな話題となり、Yelpなどのレビューサイトには何千もの皮肉や批判を込めたレビューが殺到する事態を招きました。
ビジネスにおけるストライサンド効果
口コミやレビューへの対応
ストライサンド効果は、特に企業の評判管理において重要な教訓となります。例えば、Googleビジネスプロフィールに寄せられたネガティブな口コミへの対応を考えてみましょう。
「サービスが悪かった」「美味しくなかった」といった主観的な不満は、Googleのポリシー違反と見なされにくく、削除依頼をしても通らないケースがほとんどです。ここで無理に削除を要求したり、高圧的な態度で投稿者に対応したりすると、そのやり取り自体がスクリーンショットなどで拡散され、ストライサンド効果を引き起こすリスクがあります。
ある口コミ対策サービスを紹介するウェブサイトでも、「削除依頼が投稿者に知られた場合、さらなる反発を招く可能性もゼロではありません(ストライサンド効果)」と注意喚起されています。不都合な情報を力ずくで消そうとする行為は、火に油を注ぐ結果になりかねないのです。
Googleマップの口コミ削除依頼の方法|ネガティブな投稿への対処法
ストライサンド効果を生まないためには
では、不都合な情報が広まるのを防ぎ、事態を沈静化させるにはどうすればよいのでしょうか。
論文『The Streisand Effect and Censorship Backfire』では、権力者が情報の受け手からの反発(outrage)を抑えるために用いる5つの戦術を挙げています。
- 隠蔽/li>
- ターゲットの価値の切り下げ/li>
- 嘘や矮小化による再解釈/li>
- 公的機関の利用/li>
- 脅迫
ストライサンド効果は、これらの戦術が失敗し、裏目に出たときに発生する現象です。
この分析から学べるのは、安易な隠蔽や攻撃的な対応がいかに危険かということです。問題を沈静化させるためには、逆のアプローチが求められます。
- 隠さない、透明性を保つ
- 真摯に対応する
- そもそも公開前に熟考する
情報に誤りがあった場合は、単純に削除するのではなく、何が間違いで、なぜそうなったのかという経緯を誠実に説明し、訂正や謝罪を追記する方が信頼を損ないません。
批判やネガティブな意見に対しても、感情的にならず、真摯に耳を傾ける姿勢が重要です。後手に回るほど事態は悪化しがちです。迅速で誠実な初動対応が、炎上を防ぐ鍵となります。
一度インターネットに公開した情報を完全にコントロールすることは不可能です。個人であれ企業であれ、情報を発信する前に、その内容が他者を不快にさせたり、誤解を招いたりする可能性がないか、多角的な視点から精査することが最も効果的な予防策です。
まとめ:心理学を学び、より良いコミュニケーションを
ストライサンド効果は、単なるインターネット上の珍しい現象ではありません。その根底には、「隠されたものを見たい」という人間の普遍的な好奇心や、「権力に抵抗したい」という正義感など、複雑な心理が絡み合っています。
この効果を理解することは、コミュニケーションにおける過ちを避け、リスクを管理する上で非常に重要です。企業にとっては評判管理の指針となり、個人にとってはSNSでの振る舞いを考えるきっかけとなるでしょう。
このような心理効果を学ぶことは、日々の生活やビジネスにおける人間関係を円滑にし、より賢明な判断を下すための強力なツールとなるはずです。