1960年生まれ、岡山県倉敷市出身。映画・Vシネマを数々製作。プロデューサー代表作は間寛平主演『ファンキー・モンキー・ティーチャー』シリーズ(ポニーキャニオン)。愛と性をテーマに数多くの作品に脚本/監督/プロデューサーとして関わり、ロングセラーシリーズ(『OLの性』『人妻の性』『センチメントの季節』ほか)を生み出す。また、Vシネマの作品作りの参考にと始めた「恋愛心理学」「動物行動学」「生物学」「脳科学」などの勉強に没頭し、自らの幾多の恋愛経験と照らしあわせ、独自の『恋愛分析心理学』を確立し、その講座で全国行脚する。男と女のマインド差を解りやすく説明する講演は大手企業研修としても好評を得ている。
–恋愛カウンセリングをはじめるようになった、きっかけをお教えいただけますか?
まず簡単に、僕のプロフィールをお話しします。
もともと映画の世界に入りたかったんです。30代で念願叶って監督作品(Vシネ)を作るようになったんですが、男女を描く際に、ありきたりじゃ面白くありませんよね。なので、恋愛心理の本を読んだり、勉強するようになりました。
例えば「男と女は違う」というセリフがあったとして、多少の知識のバックグラウンドがあれば、遺伝子やホルモンの違いだけでなく、「脳梁(左脳と右脳をつなぐ神経の束)の太さが違う」と付け加えることもできますよね?そうやって映画づくり、脚本づくりに活かすようになった。
当時の映画界は、バブル期の終わり頃。僕は銀座の水商売の世界の出身なので、たくさん遊びました。遊び人の周りには、やっぱり遊び人が集まる。
だから、男女の恋愛相談もよく受けていたけど、友達の相談というのは、お金を取らないかわりに責任も負わない。
お金を取るかどうかは別として、責任をもって相談に乗りたいという思いがあって、日本メンタルヘルス協会の門を叩きました。それがカウンセリングを学ぶきっかけですね。
–恋愛心理学やカウンセリングを勉強する中で、どんなことを感じましたか?
恋愛心理を勉強していて衝撃だったのは、恋愛を学問として研究している人が海外には多くいたこと。男女の心理的な違いや愛の真理が説かれた専門書から恋愛小説まで、本をたくさん読みましたよ。
カウンセリングにおいて、基本的な技術の習得や勉強はやはり必要ですが、それだけでは人の心に寄り添えるカウンセラーにはなれない。スクールに通っていたのはだいぶ前のことですが、そう感じたことは覚えていますね。
とはいえ、ただただ恋愛経験が豊富な人が、恋愛カウンセラーになれるわけでもない。基本的なカウンセリング技術の習得と、人生経験の両輪が備わっていないとね。
–アレックス小倉さんは、恋愛カウンセラーとして活躍されています。カウンセラーとして独立したいという人に、心構えやアドバイスをお聞かせいただけますか?
「心理カウンセラー」志望者を相手に、ゲスト講師としてお話をすることがあります。
最近の傾向として、生徒さん達はすぐ(今の仕事を辞めて)心理カウンセラーとして独立しようとする。「そんなに甘いもんじゃないよ」ということは伝えています。最初の3年間は収入にならない可能性が大きいから、3年分の生活費を貯金してからか、アルバイトを確保するか、今の仕事を辞めずに2足のわらじを履くとかした方がいい。
そして、一番大事なのは「自分の心を耕すこと」。そうしないと、人の心に寄り添えるカウンセラーにはなれません。
「自分の心を耕す方法」は人それぞれだと思いますが、僕であれば、やはり映画。今でも映画を週2本見ています。映画を見ることは、自分にとって「瞑想」のような大事な時間です。
–資格を取得した日本メンタルヘルス協会で、今では講師としても登壇されているんですね。カウンセラーライフでは、インタビューの際に恩師についてもお聞きしています。恋愛心理において、教師・恩師と呼べる方はいらっしゃいますか?
ジョン・グレイ博士ですね。
愛のメンター(助言者・指導者)は母校の衛藤信之先生ですが、恋愛のメンターはジョン・グレイ博士です。
20年以上前に彼の「ベスト・パートナーになるために〜男は火星から、女は金星からやってきた」を読んで衝撃を受け、彼の著書を全て読破し、日本のジョン・グレイになるって決めました。
押しも押されぬ恋愛学の第一人者ですから。
彼が日本に来たのは知る限り2回だけですが、どちらも講演を聞きに行きました。最前列の一番いい場所で、舞台上にも何度も呼ばれました。
さらに、個人的にいっぱいお話をする機会もあって、僕の活動についても知ってもらうことができましたし、念願の「ジョンの弟子」という許諾も得ました。とにかく、僕の講座の核はジョンからの学びですし、カウンセリングにも非常に役立っていますからね。
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